人には考え方の違いがある。
同じ材料を与えられたとしても、人によって出される結論が違ったりする。
ということは、脳内のシナプスのつながり方が、ある人はA→B→Cと行くところを、別の人はA→D→Eと進んだりする、ということである。
それが抽象的で、前提となる要素が少ないものほど、出される結論は多種多様になると思われる。
例えば、「赤」のみで連想されるものと、「赤」「食べ物」から連想されるものとでは出される答えが違ってくるし、後者の方が限定されてくることになる。
そういう中でも、あまり他の人が出さないような解答を出す人というのは、そのつながる回路が独特な連携を持っているのかもしれない。
脳内の情報のつながりというのは、その人の経験、環境、性格、元々の脳機能の傾向など、複雑に絡まり合っていると思われる。
全然関係ないと思っていた事柄から、思わぬものを思い出したり、連想したりすることもある。
ただ、一つ言えることは、自分の中に無いものは、どう逆立ちしても出てこない、ということだ。
そういう意味では発想や連想には限界がある。
しかし持っている材料の組み合わせを色々変えてみることで、新しい回路を作り出すことは、できるかもしれない。
先ほど書いた、全然関係ないと思われることから意外なつながりを見出す、というのも新しい回路を作ったということだと思う。
それはその人の中だけの特殊なつながりであって、そういう回路がたくさんある人ほど、新しい発想、新しい考え方が生み出される可能性があると思う。
そこで必要なのは、まず、ひとつひとつの情報である。
その材料が少なければ、出される考えも自ずと少なくなる。
そしてもうひとつは、その得た情報をつなげてみることである。
具体的に情報を挙げて色々組み合わせを考えてみるのもひとつの手だと思うが、そもそも情報というのは多元的であり、様々なものが錯綜しているので、単純な内容ならば問題ないかもしれないが、複雑なものだと、何が自分にとって必要な情報か、というのは極めて選択しづらく、またムダだと思っていた情報が思わぬ発想をもたらすこともあるので、情報の選別というのは難しい。
そもそも生きているということは常に情報を得続けているということである。
そうすると、より効率よく蓄積され、自然と接する時間も増える、自分に興味のあること、好きなことというのが、材料の情報としては増えていくだろう。
つまり個人的な嗜好、興味の有無が情報の選別という役割を果たし、どのような表現で新しい発想を提示するか、ということの前段階も形作る。
そして、アウトプットをする、ということが、得た情報をつなげてみるということについては効果がある気がする。
インプットは外からの情報であるのに対し、アウトプットは内部に蓄積された情報を、独自に組み替えて外に出すということである。
ということは、インプットとアウトプットを繰り返して行けば、よりその人独自の思考は広まり、深まっていくことになると思われる。
ということで、こんなブログでも、ちょっとは新しい発想の手がかりになっているかもしれないな、と思ったけど、実感は無いです(笑)。
でもアウトプットするのは楽しいなとはいつも思ってます。
自分の実力や才能がどうかは置いといて、少なくとも毎日ブログが更新できるのは幸せですね。
おしまい。
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