ブルーの国府津のブルース

以前三年ほど神奈川県の小田原に住んでいたことがある。


なぜ小田原に住み始めたのか、という経緯も色々あるのだが、その辺は今回は割愛させてもらう。


住んでいた場所が、小田原駅周辺などの繁華街近くではなく、その二駅手前の国府津という駅が最寄りだった。


なかなかに寂しい駅で(住んでいる人には申し訳ないが)駅舎備え付けのニューデイズと、ロータリーを越えた向かいに寂れた感じの飲食店が二、三軒ほどあるのみで、周辺にはあまり何もなかった。

冬の寒い時期、東京から夜電車で帰ってきてホームに降り立った時など、本当に地の果てに来てしまった様な感じがした。


駅を出るとすぐに国道一号線が走っていて、それを越えて坂を下るとすぐ海岸に出る。

自分の地元、鳥取の浜辺と違い、大きめの石がごろごろとあり砂も黒い浜で、左の方には房総半島、右側には真鶴半島や伊豆半島、沖合には静岡県の大島が見えた。


海岸線に沿って浜辺に高速道路が走っており、景観が大きく損なわれていたのは残念だったが、引っ越した当初はよく海を見に行った。


海水浴のできない浜だったので、夏場でも人が少なく、大体地元の人が犬の散歩をしているか、釣人くらいしか見かけなかった。


たまにどこかから来て国府津へ降り立ったのであろうと思われる様な若者が、一人で海を見ながら座り込んだりしているのを見ると、あぁ何かすごくわかるなぁとか、勝手に思っていた。


山奥育ちだったので、海の近くに住むのが新鮮で、楽しかった。


しかし一ヶ月経ち、二ヶ月経ち、とするうちに自然と海岸まで行くことは減っていったのだが…



今思い返してみると、三年という期間の割に、小田原に住んでいた時のことは色々と印象的な出来事が多かった気がする。


ちなみに「式日」のMVの撮影のために、久しぶりに小田原へ行った。

相変わらずだなという部分と変わったなと思う部分とがあり、改めてわかることもあって、すごく面白かった。

時間の都合上国府津へは降り立つことができなかったのだが、機会があったら行ってみたい。


また気が向いた時に小田原時代のことも色々書いてみたいと思う。

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