善行のススメ

この間、仕事帰りで最寄の駅に降り立った時のこと。


普通に歩いて帰ろうとしていたら


「これ、何だと思いますか?」


突然目の前に差し出される、銀色のビニールの四角い容器。

声をかけてきたのは、若い女性である。


新手のナンパかなー、逆ナンなんてモテるなーまいったな〜ハハ、なんてことはなく、面倒臭そうだなというのを直感した私は、そそくさと通り過ぎようとした。


「実はこれ、携行用の食料なんです。この大きさで500キロカロリー、何とビッグマックと同じくらいあるんですよ!」


はあ、それを僕に売りつけたいんですか、その手には乗りませんよ、と、また通り過ぎようとすると


「私たち、UNHCRという国連の難民支援組織の者で…」


はあ、国連さんですか、そりゃ立派なことで、では私はこれで、、


「難民って何かご存知ですか?」


…そう、私は立ち止まってしまった。

何となく質問に答えてしまい、彼女と会話してしまったのである。


ひと通り、かの組織のこと、難民の現状、具体的な支援の内容などを聞いた後


「実は支援していただく方を募集しておりまして、もしよろしければご支援していただけないでしょうか。」


ほら来た、やっぱり金払えってことでしょう?
私は貧乏人だし、誰かを支援できるような余裕のある暮らしをしている訳じゃないんですよ、、


「で、具体的に何をすればいいんですか?」


「はい、月々の支援をお支払いしていただく、サポーターになっていただければなと思います。」


この時点で非常に立ち去り難い雰囲気が漂っていた。


一方は世のため人のため、世界が少しでもよくなるようにと寒空の下一生懸命呼びかけを続けるうら若き乙女であり、こちとらええ加減な人生を送る、三十六歳低能貧乏自堕落童貞包茎変態白痴低俗卑俗卑劣中年イカレポンチであり、募金など人生の中で一度もしたことがなく、普段から街頭の募金活動などむしろ冷ややかな目で見、素通りしてきたのであり、難民?知らねーよ、んなもん、支援?する訳ねーだろ、土でも食っとけ!ぺっ!と言い捨てて立ち去りでも出来ようものなら、それはそれでまたすごいと思うが、そんなこともできず、人間としてのその徳の違いに圧倒され、何となーく断れないまま、ズルズルとその場にいた。


「これって今この場で申し込まないといけないんですか?」


一応ね、一応。このまま何も聞かないのも気まずいし、会話の流れ的になんとなく、さぁ。


「はい、以前は郵送での申し込みなども対応していたんですが、連絡が取れなくなる方がいたり様々なコストがかかって、1億円ほど無駄になってしまっていたので、もうこの場でお申し込みいただく、ということになりまして」


月々の支援プランを見ると、ひと月三千円、五千円、一万円、それ以上、と書いてあり、クレジットカードの番号や銀行口座の情報などを書き込む欄がある。

正直、まあ少しくらいなら、千円とか?まあ、支援?それくらい、してあげてもいいっちゃいいよぉ、別にぃ、俺って善人だしぃ、普段から優しいってよく言われてっからさぁ、募金くらい、してあげるよォ、優しいからぁ、なんて思っていたが、月々数千円以上、貧乏人には決して安くない額であり、しかも継続して引き落とされる、となるとなかなかハードルが高い。


うーん重い、重いな…




…少し迷ったが、支援することに決めた。



正直、このことを書くつもりはなかった。

が、なぜこのことをブログにしようかと思ったかというと、非常に良い精神的な効果があったからである。


自己肯定感、という言葉、正直あまり好きではない。

しかしやはり生きていく上で、自分自身のことを肯定できるかどうか、というのは非常に重要なことだとは思う。


自分は昔から自己肯定感が非常に低く、卑屈で、しかもそれに自身で気づいていない、という一番タチの悪い厄介なタイプで、今でも全然高くはない。


募金を(しかもある程度の額)することによって、何か社会的に意味あることをやっている、というのが、存在していていい、生きていていい、こんな自分でも、少しは誰かのためになることができている、という自己肯定へとつながり、気持ちも非常に晴れやかで、何というか、とても良かった。


自殺が社会問題になったりしている昨今、死なないために(自分が生きている意味を手っ取り早く感じられるという意味で)募金する、というのもアリなのではないかな、と思ったのである。


まあとにかく、そういうことで、終わります。

怪 楽 庵 web

宅録ユニット・怪しからんの運営する、たのしいWebサイトです。

0コメント

  • 1000 / 1000