I second that emotion

あけましておめでとうございます。


寝正月を送ってしまいました。

気づいたら、外は真っ暗。一日が早い…


よく、人を動かすのは感情、という。

つまり感情を動かすことができれば、人は動く、ということかもしれない。


何だかテーマ的に胡散臭いセミナーみたいだが、少しそのことについて考えてみる。


感情が動く、とはどういうことかと考えてみると、わかりやすく喜怒哀楽などの感情になることも含まれると思う。


ではどういう時に感情が動くのか、と考えると、同調、というのは大いにありそうである。

泣いている人を見て泣いてしまう。

楽しい人と一緒にいて楽しくなる。


個人的に大好きな数学者・思想家で森毅という人の言葉に「正しさは伝わらないけど、楽しさは伝わる」というのがある。


それってつまり、物事が伝染していくのは、理屈じゃなく感情によってである、ということだと思う。

しかもそれがポジティブなものなら、良い連鎖が周囲に波及していくということかもしれない。


感情を動かすのは他者の感情、というのは多分一つある。

だがそれだけではない。


例えば天気が良くて気持ちがいいとか、育てていた植物に花が咲いて嬉しいとか、その逆もあるし、環境などによって感情が変わったりもする。

外的要因は何もなくとも、不眠でイライラしたり、体の調子によっても変わったりするだろう。


それならば、天気のコントロールはできないが、体調管理によって、あるいは自分の手の届く範囲の環境を変えることによって、自分の感情を気持ちの良いものに調整することは可能かもしれない。

そうするとそれが周囲に伝わり、という先程の連鎖が起こることになる。



気持ちが伝わる、ということをよくいう。

自分の中に秘めた思いを、何らかの手段によって伝える。

それが直接言葉として、ということもあれば、何かしらの表現で、ということもある。

それがどっちがいいかというのはケース・バイ・ケースだと思う。


お笑い芸人が「俺が一番おもろいんじゃ!」といくら言葉で言った所で、おもしろさは伝わらない。

それなら実際に笑いで証明してみろ、という話になってくる。


お笑いのネタでも、その他のものでもそうだが、何か表現物に触れた際に、表面的に見えている部分の奥に、何か複雑なものが見え隠れするような感覚になるものがある。

それはいわゆる「深み」というものかもしれない。

そしてそういう複雑さを含んでいるもの程、より他者の心に深く刺さりやすいという気がする。


喜怒哀楽だけでは表現しきれない、深いレベルの感情というのもある気がしていて、それは普通に話したり、日常生活を送る中ではなかなか他者へ伝わることは難しく、何かしらの別の形をとってでしか表現されないのかもしれない。


何かを作ることによって感情が表現され、伝わる、ということは不思議だが、確かにあって、じゃあそれがどういう感情かと問われると、上手く言葉には変換できない。

言葉では上手く変換できないからこそ、作り手はそういうものを作るのだとも思う。

言葉にできない感情、を言葉で表現する人もいるが、どういう形にしろ、人が伝えたいのは感情であり、伝わるのは感情なのかもしれない。


ただ、創作を「感情を伝えるためのツール」としてだけ捉えるのにも違和感がある。

このあたりの関係性についてはもうちょっと考える必要がありそうな気がする。


うーん何か結構難しいテーマになってきたので今日はこの辺で。

新年からこんな内容ですいません。


今年も好き勝手に更新していくので、気が向いたらお付き合いください。


2021年もどうぞよろしくお願いします。

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