数年前、僕がまだ清瀬で兄と住んでいた頃、仕事で谷中へ通っていたことがあった。
清瀬市というのは東京の中でも北西の埼玉県との境目の街であり、西武池袋線に乗って池袋まで三十分くらいはかかる。
で、谷中の仕事場というのは、東京の中では東側の台東区内、池袋からさらに山手線で数駅行った、西日暮里と日暮里駅の中間くらいにあった。
ともかく距離とすれば、家から仕事場まで26キロくらいあったのだが、当時家の近所の散歩にハマっていた僕は、ある日夜仕事が終わってから、歩いて帰ってみようと計画した。
働いていた店が終わるのが夜の九時半くらいだったので、店を閉めて、谷中からえっちらおっちら歩き始めた。
とにかく26キロなんて距離を歩くのは初めてだったし、どうなるのか全く見当もつかなかったが、最初は「まあ俺歩くの好きだし、問題なく行けるっしょ」みたいな感じで思っていた。
経路としては、台東区谷中から北西に向かって行き、北区、板橋区を抜け埼玉県の和光市、新座市を経由して清瀬市の家に着く、という予定であった。
しかし三時間くらいかかって全行程の半分くらいの場所である、板橋区の下赤塚周辺にたどり着いた頃、ひどく後悔し始めた。
これでまだ半分なのか、このまま歩いて帰ったら着くの何時になるんだ…と果てしのない気持ちになった。
しかも十二時半を回っており、そこから終電で帰るのは不可能な時間帯になってしまっていた。
とにかく歩くしかない、と自分を鼓舞し、また歩き始めたのだが、どんどんと人気のない街、そして時間帯になっていく。
墓地の近くを通ろうもんなら怖くて仕方なく、道を行く車もまばらで、今一体自分がどこにいて、どこに向かって歩いているのかだんだんわからなくなった。
疲労困憊で、ここまで痛くなったことはないくらいに足首が痛くなり、眠い、痛い、先は見えない、と、とにかく辛くて辛くて、目の前にベッドがあったらすぐにでも飛び込んで眠ってしまいたかった。
それでもまだかなり道程は残っている。
体力は限界、足も眠気も精神も限界、もー早く家へ帰りたい、その一心で歩いた。
最後の方には、住宅街ですらなくなっており、森や畑のある農道の中をとぼとぼ歩いていた。
タクシーでもつかまえりゃよかったのに、と今は無責任に思うが、たぶんあの時間帯であの場所では、滅多に通らなかったのだろう。
持ち合わせも少なかったのかもしれない。
とにかくようやく家に着いたのが夜中の三時半ごろで、もう二度と歩いて帰ろうなどとは思わない、と心に刻んだ。
たぶん東日本の震災もあったし、一度くらいは職場から歩いて帰らないと、という気持ちもあったのだと思うが、あの日あの時、まさしく自分は帰宅難民であった。
これで携帯のマップなんかも使えず、路面状況も悪かったりするとなると、相当の困難が予想されるだろう。
この前福島・宮城あたりで大きな地震があり、東京も結構揺れて、震災のあった時のことを思い出した。
今後三十年の間に首都圏で大規模な地震が起こる確率は70%、などと言われていたが、あんまり仕事場から家が遠いのも、何かあった時に困りものだな、ということで、終わりまーす。
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