くだらないの中に

やばい、今、夜中の2時43分である。


しかし、全然ブログは書けていない。

寝落ちしていて、気づいたらこんな時間になっていた。


どうも最近、書くのに時間がかかり、明らかに他のことに対しての弊害が出ているのであるが、ここまで続けたので勿体ないという気持ちや、単純に何かしらをアウトプットできるおもしろさもあって、やめられない。


毎日大した内容でないとはいえ、新しいテーマの文章を書くというのは結構大変だ。

そもそもそんなにネタがない。

いや、自分の発想や観察力、想像力が貧困なだけだが、一本書くためのテーマを考えつくのがまず難しいのである。


これでいけそうだな、と思ったことが、いざ書き始めてみると全くつまらなかったり、全然まとまらなかったりする。

書いては消し、の繰り返しで、自分の中のハードルが高すぎるのかもしれないが、惰性で書くのは気に入らない。

(それで出来上がったものがこんなものか、と思われる人もいるかもしれないが)


とにかく、何か、新しさ(自分の中でであるが)があって、読む人もそれなりに楽しめ、そしてできるだけくだらないこと、そういうことをグルグル考えて、あーでもないこーでもないとやっていると、プライベートな時間がどんどんなくなっていく。

その為にカフェや喫茶店を利用したりすることも多いので自然と出費も増える。

一体何の為にこんなことを、と思わなくもない。

正直一銭にもなっていないし、これからもなることはないかもしれない。


でも大部分の人は金儲けの為に一生懸命活動している中で、全く金にならないことに自分の様々なものを費やす、というのは、ちょっとおもしろい。

ただの道楽と言われればそうかもしれないが、正直生活に於いてそんなことに勤しんでいる余裕は全く無い。

でもやめられない。

楽しいからである。

そして、そんなアホなこと、ほとんどの人はしないから、というのもある。

一日くらい休みたいと思うこともあるが、とにかく毎日書くことが大事なので、そこは何とか踏ん張っている。

(今回みたいに日が変わって、もうその日のブログとは言えないような時もたまにあるが…)


まあとにかく、あいつまだこんなことやってんのか、と呆れられるくらいになるというのを目標にしている。

人はいつか死ぬ。

終わりは一緒なので、ゴールは、ある意味では見えている。

そこには貧乏も金持ちも関係ないし、現世的なものも結局は意味がなくなってしまう。

となると、あとはどれだけ生きている過程を楽しめるか、ということになってくる。


別に何をしてもいいと思うけど、何かをアウトプットすることには、他のことでは得られない不思議な快感がある。

難しいけど、おもろい。

そしてそういうことを繰り返して、できるだけしょうもない人間として終われればいいと思う。


アリとキリギリスの童話で言えば、確実にキリギリス側の人間であって、ということは、冬のような時代が来れば、生きていけないのかもしれない。

まあでも、そんなこと真面目に考えても仕方ない。

生きてりゃ生きるし、死ぬときゃ死ぬし、ダメな時もありゃ、いい時もある。

とりあえず、もう朝方になって来たので、寝ます(笑)

おやすみなさい。

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