ショッピングモールの幽霊をアップしてから少し経って、冷静に聴き返してみると、もうちょっとあれもこれも出来たんではないか、という気持ちになってきて、かと言って今からまた手を入れるのもやりたくない(新しい曲にかかっているし)ので結局そのままだけど、いずれアレンジし直したいとは思っている。
音源を作るたびに、もっと良い音質だったら、もっと良い機材があれば、というような所から、もっと金があれば…みたいなことに行き着いて、何とも言えない気持ちになったりするけど、自分がいちリスナーとして考えると音質なんてそこまで重要視してないなと思う。
別にどうでもいいと思っている訳じゃなくて、キレイでハイクオリティな音質でもグッと来ない音楽もあれば、酷いと感じるような音でも心に響く音楽はある、という意味でだけど。
音質は、その音楽を作っているミュージシャンがどういうのをいい音だと思っているか、どういう風にその音楽を表現したいと思っているか、ということに直結している反面、予算や技術や置かれている状況なんかの都合で大きく変わってきてしまうものでもあるので、ある程度は諦めとともにあると言えるかもしれない。
ただ、そういう限られた環境や状況の中でどうにか良い音にしようと努力してきた人々の歴史もまたあって、そういうものが実際の音源にも刻まれていると思うと、難しいテーマだと感じる。
少なくとも、その音質で良しとした、もっと言えばその形で音源をリリースした、という時点で、あとは聴く人に委ねられているというだけのことかもしれない。
期せずして(酷い音質でも)残っていくものもあれば、どれだけ素晴らしい結果(音質)を出したと思っても消えていくものもあるだろうし、人類や宇宙の歴史を考えればすべてのものは失われていく運命にあって、そうすると結局は自分(制作者)が納得いくかどうか、というだけの問題なのではないかという気もする。
何だか結構マニアックな内容になってしまったけど、こんなことを考え始めてしまったのは自分の制作のこともあるけど、この本を読み始めたから、というのもある。
カクバリズム初期の音源制作の話とか書いてあって色々考えさせられました。
内容もとても面白いので、音楽に携わっている人でなくても充分楽しめると思います。
今回はこれまでにします。それでは。
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