気付かなかったけど、昨日でブログを毎日書くようになってから20回目だったよう。
20日やってのどうこうってのは特にないけど、少しずつ文章を書くのが楽しくなってきていると同時に、クオリティのムラが気になってきたり、でもまあ、毎日だとそうそうおもしろいことがあったり、思い浮かんだりする訳じゃないので、ゆるゆるやります。
で、今日は昨日の時点で書こうかなと思っていたことがすでにあったけど、別のことが書きたいと思い始めたので、そっちを。
朝、仕事へ行く。
大体の人は、会社か、店か、現場か、リモートなら家かカフェやシェアオフィスとか、まあなんでもいいけど、とにかく仕事をする。
仕事へ行く、とはつまり、金を稼ぎに行く、ということである。
仕事というのは大人になってからの大半の時間を占めるので、かなりの間金稼ぎをしていることになる。
年間出勤240日、一日8時間、と考えても、人生の半分くらいの時間は使っていることになるんではないか。
それだけ現代では、金を稼ぐ、ということが重要で、ほとんどの人はその為に生きている、と言ってもいいくらいかもしれない。
金を稼ぐ、とはどういうことか、と考えると、反対側に金を払う人がいる、ということで、全ての人は、金を稼ぎ、また払う。
言い換えれば、払う為に稼いでいる、稼ぐ為に払っている、と言えるかもしれない。
金銭を稼ぎ、使う、ということが、社会の中での人々のコミュニケーションの一環と考えると、「稼ぐ・使う」という選択が、大きな意味を持ってくる。
つまり、どう稼ぎ、どう使うか、ということにより、その人の社会の中でのポジションや人間性を規定していくことになるのではないか、ということである。
よく企業が環境問題に取り組んでいるのをアピールすることで、企業イメージをアップさせる、というようなことを聞くが、それと同じように、お金の稼ぎ方・使い方で様々なイメージを社会的にプレゼンしていくようなことができるのではないか。
そう考えると、いちいちの自分のそういった金銭に関わる行為が、自身の社会的なイメージを規定していると言ってよい。
それを上手くプレゼンできる人というのは、社会においての自身のイメージ像(現在どうあり、今後どうありたいか)を明確に持っているのかもしれない。
何だか小難しい話になっちまいやしたが、要は金の稼ぎ方や使い方でその人の印象が決まっちゃうよねってことで、それならもっとそういうことを考えていきたいなと思った、てことです。
てことで、今日は終わります。それではー
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