昨日で毎日ブログを書き始めて30日目であった。
と、いうことで、今一度、ブログを書くことについて再考してみたいと思う。
そもそもの動機は「なんとなく」であり、コンセプトだ、スタイルだ、収益化だ、とか全然関係なく、今思うと、ただアウトプットする場所を求めていただけなのかもしれない。
最初の「相反するキモチ」というのを書き終わった時に、少し高揚感みたいなものを感じて、ちょっと連続で更新してみようかな、と思ったのである。
前から文章を書く訓練をしたい、とは考えていて、ブログをもっと更新したいとも思っていたのだが、自分の文章力のなさに幻滅し、こんなもん誰が読むねん、ブタの餌にもならんわ(よく貶す時にブタって言いますが、ジロリアンとしては豚は様付けしたいくらいありがたいものですが)となり、自分がこんな文章を発表する意味とか考え始めてやめたりとか、書いても誰も読まないとか、単純にハードル上げすぎて書けなかったりとか、まあ色々で、結局期間が開き、そのまま放置、という状態が続いていた。
今は単純に毎日書くことで自分の中のハードルを下げた、というのもあるし、もう別になんでもええわと思うようになったのもある。
読むとしても大した人数じゃないし、好きなことを好きなように好きなだけ書いて、アウトプットの気持ちよさ、つまりは毎日何かしらを完成させている、という達成感とか、一応発表することでのやってる感とか、単純に書くことが楽しかったりとか、そういう自慰行為的な側面が強く、なので、こんなもん誰が読むねん、ていう気持ちは、発表している身でありながら全然あるし、それでも読んでもらえるのはありがたい、という気持ちもある。
前日のアクセス数を見てゼロだと残念だとは思うし(それでじゃあこうしようとかもないが)そもそもレスポンス自体がほぼ無いに等しいので、読み手側がどう思っているかは全く不明である。
石の上にも三年、という言葉がある。
ずいぶん前にツイッターで少しこのことについて書いたことがあったが、この言葉のおもしろい所は、石の上にも三年、でどうなったかが全く示されていないということである。
それで花が咲いた、とか、激ヤセした、金持ちになった、彼女ができました、おいしいもの食べれました、出世しました、視力が戻りました、とか何かしらの結果が示されていたら、もっと俗っぽい言葉になっていたと思う。
石の上にも三年、何か坊さんの言葉みたいだが、要は、やってみて、続けてみたことあるもんだけがそのことを知ることができるってことだと個人的には考えている。
どうなるんかはやった人にしかわからんのだから、思ったならやってみたほうがいいんでない、ということである。
ということで、まあ何かトラブルや予期せぬことが起こったりしない限りは、とりあえず毎日更新していこうと思ってます。
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