特に何かあった訳ではないのですが、今回は「恐怖」について考えてみたいと思う。
怖い、という感情には、今の所思い浮かぶものに二種類ある気がする。
ひとつは「わからない」ことによる恐怖。
もうひとつは過去の経験のトラウマから引き起こされるものである。
わからないことによる恐怖で最大にして普遍的なものとして「死」によるものがあると思う。
死んだらどうなるかわからない。
死後にはもちろん知ることになるのだろうが、その頃には生きている状態に戻ることは叶わない。
つまりやり直しがきかないので、知りようがないのである。
人間の生きる上でぽっかりと空いた無限の穴、それが死。
輪廻転生や天国地獄など死後の世界に対する想像や教えは色々あるが、本当のところは生きている限りわからない。
もうひとつの、トラウマからの恐怖、というのは知っているから起こる恐怖である。
かつての嫌な経験の記憶が何かのきっかけによって呼び起こされることにより、恐怖に変わる。
これは死に比べると主観的な面が強く、構造としては普遍的かもしれないが、個々の体験によって異なる。
人によって「なぜあんなものが怖いのだろうか」と思えるようなものが恐怖の対象となる場合もあるのだ。
想像が恐怖に変わる、ということもあるが、それは過去の経験から呼び起こされて恐怖が想像されるのであり、トラウマ的恐怖の軽いもの、ということができそうである。
そう考えるとトラウマのない人間などいないのであり、痛みや苦しみといった経験が記憶され、脳内で恐怖の対象として呼び起こされることは、ごくありふれた現象と言える。
わからない恐怖とわかっているからこその恐怖、というのは対極にある気がするが、どちらも実際に体験している最中に起こるものではなく、その前、つまり想像の段階で起こることである。
想像できないから怖い、想像して怖い、つまりどちらもその人の経験則に乗っ取っている。
わからないから怖いものは、知ることによって克服ができるかもしれない。
経験したことによる恐怖も、追体験することにより克服することもあり得るだろう。
追体験することで経験の記憶が更新され、そんなでもないやん、って思うこともあるし、逆に、やっぱり全然ダメでさらにトラウマが増幅される、ということもありそうなので、慎重な判断が必要とされそうであるが。
そういう風に分析してみたところで、今の自分の持っている恐怖やトラウマが解消される訳では全然ないのですが、様々な経験を積むことにより恐怖心がなくなっていく、ということはありそうである。
怖くても飛び込んでみる、これはやっぱり大事なのだなぁと改めて思った次第です。
といって、なかなか難しいんですが…
ということで終わります。
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