(I Can't Get No)Subscription

去年、今年と、個人的に音楽の聴き方が変わった。


世間的にもそうかもしれなが、本当にサブスクリプションへの依存度が高くなった。


そこに無い作品は聴かなくなり、レコード店にもすっかり行かなくなってしまった。

新譜情報なども知らないことが多くなり、元々そこまでチェックしている方ではなかったけど、よりその傾向が高くなった気がする。


みんなどこからそういう情報を得ているのだろう。


サブスクは確かに便利で、今まで聴きたいと思ってもなかなか手に入れられなかったもの、コスト的に手が回らなかったものなども、そこにあればいくらでも聴ける。

その分作り手側の収益というのは少なくなったのだと思うが、それでもやっぱりありがたい。


ただ、サブスクに無い音楽というのは、そこで完結している人にとっては無いのと同じであり、それによってこれまでの音楽の遺産で黙殺されるものが出てくる可能性は十分にある。


でもそれってレコードの時代でも、CDの時代でも同じか。


とにかく世間的にそういう流れになってしまった以上、ある程度聴かれる音楽を目指そうというのであれば、サブスク配信は避けて通れないだろう。

レコード、CDに関してまだまだ諦めたくない気持ちはあるが、その一方でサブスクの便利さにどっぷり浸かっている自分がいる。


あと住宅環境も大いに関係がある。

今の部屋はあまり大きな音で音楽がかけられない。

CDプレーヤー、レコードプレーヤーを置くスペースの問題もあるし、色々難しい。

まあでも面倒臭いことの言い訳にしか過ぎないかもしれない。


とにかく、面倒なことと住宅環境、コスト的な問題で、大きくサブスクリプションに依存することになり、今後もしばらくそれが続きそうな気はする。


テクノロジーや社会状況と表現物の関係性というのは切っても切り離せないもので、個人的に抗うことは可能だが、そうすると一般的ではなくなっていく。

一般的ではないことを続けるにはそれなりの意志や熱量、金銭が必要で、それはやっぱり個人的なものだろう。

あと、利益を考えないことだと思う。


それはあくまで世間と逆を行きたい場合、であり、別に同調することが悪い訳ではないし、その中でまた新しいものが生まれてくるとも思うので、結局はバランスということになるのかもしれない。


個人的に物として持っておきたいものもあるし、サブスクでいいやと思うものもある。

作り手側としては、物として持っていたいと思ってもらえるものの方が作りたいと思うが、サブスクで聴いてもらうことに対してのこだわりなども特にはない。


ただ、できることならある程度大きな音で音楽をかけられる、それなりにスペースのある家に引越したいなぁ、というただの願望を書いて、今日は終わりにします。


ないものねだり、ではなく、ちゃんと実現する方法を考えたいですね。

来年の目標の一つかもしれません。

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