生きていると恥ずかしいことは結構ある。
自分では恥ずかしくて仕方ない、ということが、他人にはどうということなかったり、逆に心を打つ場合などもあるし、自分では全く恥ずかしくないことが、他人にとっては恥ずかしいと思われるようなこともある。
ということは結構恥ずかしい、というのは独りよがりなものかもしれない。
確かに自意識過剰な方が恥ずかしいことは多い気がする。
恥ずかしさというのは自分の中で結構勝手に規定しているもので、確かに社会的に見てこれを大っぴらにするのは恥ずかしい、というのはあるにはあるが、平気な人は全然平気だったりする。
自分の中でバイアスのかかっている、あまり大っぴらにはしたくないこと、となると、ひとつ思い浮かぶのは「秘密」である。
これは言いたくない、知られたくない、という秘密。
もちろんその中でも恥ずかしいものとそうでないものがあると思うが、「恥ずかしい」こととの関連はありそうだと思う。
なぜそれが「恥ずかしい」かといえば、それを誰か他人に知られた時に良い印象を与えないだろう、と想像するからではないだろうか。
つまり嫌われたり、変に思われたり、何か嫌なことを言われたり、そういったリスクを負う可能性があり、かつそれをくらった時に少なからずダメージを受けてしまうもの、そういうのは「恥ずかしい」と言えるかもしれない。
人間関係に於いて、そんなリスクを負う必要はない、と言いたい所なのだが、それをあえて負う人ほど、他者からの信頼を得やすい、という気はする。
つまり、そんな他人から変に思われそうなリスクのあることを自分に伝えてくれた、ということが特別感を生み、信頼感につながるのだと思う。
芸人さんなどでも、わざわざそんなこと大っぴらに言わなくても、ということを告白し、それによって逆に株が上がったりするのを見ると、人付き合いにリスクを負うことは重要なのかもしれない、と思ったりする。
基本的に人間は他人の恥ずかしい所を知るのは好きで、でも自分が恥ずかしいことを知られるのは嫌なのだと思う。
だから人はできるだけ恥ずかしいことを隠そうとするし、他人の恥ずかしいことは知りたいと思っている。
そう考えるとだいぶけったいな生き物であるが。
だからその辺の心理をわきまえている一部の人付き合いの達人たちは、あえてその逆を行き、自らリスクを負うことで他者からの信頼を得る…んー、それってやっぱカッコいいかもしれない。
といってやろうと思ってもなかなかできない、というか、自分は結構色々秘密にしがちなので、もっとリスク取って生きていきたいかも、と思う今日この頃です。
ということで、最後個人的に恥ずかしいことをひとつ…
今朝仕事へ行く前に一人でちょっとした初詣をしたのですが、普通のおみくじ共に恋みくじを引きまして、それを順番に見ようととりあえず恋みくじを持っていたトートバックの中に入れ、普通のおみくじを先に見た。
その後恋みくじを見ようとしたら、トートバックの中に紛れ込んでしまい、どこにあるのかわからなくなってしまった。
そのトートバックの中には仕事の制服が入っており、もしその制服のどこかに恋みくじがくっついていて見つからず、仕事場でパラと落ちたところを同僚などに見つかり
「なんか落ちましたよ…あっ」
みたいなことになったら、恥ずかしくて死ぬ、と一人で朝から焦ってました。
ちなみに普通のも恋の方も大吉でした。
二人の愛情の花が今美しい恋の花となって天地に咲きあふれ、二人の恋愛は幸せの絶頂に向かっているそうです。
二人って、一体私は誰と幸せの絶頂に向かっているのでしょうか。
ハズっ!!
おわります。
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