コミュニケーションにおいて気を遣いすぎて、逆に相手に気を遣わせてしまうということがある。
気を遣うというのは大事なことかもしれないが、それによって相手へ緊張やストレスを与えてしまうとすれば、それはもう気を遣えてはいないのではないだろうか。
となると、気を遣わないことが気を遣うことになる、という逆説的な結論となる。
月並みだけど、何事も程度の問題なのかもしれないが、気を遣うというのはさりげなく行うもので、はたから見てもそう見える状態は、もう野暮も野暮、自分も他人も疲れさせる結果にしかならないのではないか。
ではどうやったら気を遣うことを悟られないでいられるか、と考えると、相手のことをよく見ている必要がありそうな気がする。
会話においての相手の微妙な変化やリアクション、言葉にできていない部分を感じ取って、それにきちんと対応する、そう考えるとめちゃくちゃ難しい…
けどそれができるとできないとでは大きく違ってくると思う。
わかりやすく気を遣っているのが見て取れる状態というのは、実は自分のことしか考えておらず、相手を蔑ろにしているとも言える。
自分の意識がちゃんと相手側にあり、自分と相手がコミュニケーションとしてきちんとやりとりできている状態が理想的で、ということは、気を遣える人となるためには、まず相手を見ることが大事なのかもしれない。
あと相手が言いづらそうにしていることには、率先してこちらがそれについてどうかを話す、というのも、自分はなかなかできないことなのだが、大切だと思う。
相手に変なふうに思われたら嫌だな、と思い、つい様々なことを言わずにしておきがちになってしまうのは、自分の中で勝手にバイアスをかけているだけで、小さい告白(自分のちょっとしたパーソナルな部分を話すこと)によりコミュニケーションが円滑になるのはわかっているのだけど、実践するのは難しい。
コミュニケーションが苦手なのだけど、とても大切なことなので、苦手な中でも少しでも円滑になるようにしたい、できるようになりたい、と思ってる。
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