ハトがいる。
歩きながら、その辺に落ちているものをついばんでいる。
何てことない光景なのだが、よくよく見ていると気になることが結構ある。
まず動き。
一歩ごとに必ず首が前後に動く。
動かなければ歩けないんじゃないか、というくらい、それは連動している。
そして足。
身体の大きさのわりに小さく細すぎる気がする。
よくあんなわずかな足であの身体を支えているな、という気がする。
大体、身体は横面に広いのに、二本足である。
人間のように縦に長い訳ではなく、バランスがとりづらくないのだろうか。
あの細い足でバランスをとりながら移動するのはとても難しい気がするのだが。
本来なら四足でもおかしくないと思う。
しかし四足でないのはもちろん前足にあたる部分が飛行するための翼になっているからであり、それはダチョウのように飛ぶことなく走行用に進化した鳥類でも残っている。
そう考えると、何類かという分類はかなり根深く、鳥の末裔はやはり鳥であり、例え飛べなくてもライオンやチーターみたいになることはないのだ。
首が動くというのをちょっと真似てみる。
移動の際のバランスをとるというのもあるかもしれないが、首を動かすと推進力がつく気がする。
あの華奢な足で、少しでも陸上の移動をスムーズに、素早く行えるような工夫なのかもしれない。
鳥は飛ぶ。
ということはそのために使う翼部分を動かす胸筋はきっと筋肉がものすごいことになっているのでは、と予想される。
だが、鶏の肉を思い出してみると、胸肉は脂肪は少ないものの、筋肉がすごい、という感じはあまりしない。
火を入れるともさっとしていて、もも肉の方がプリプリと歯ごたえがあり、筋肉がありそうな感じがする。
鶏は歩くことが多く、あまり飛ばないのでそうなだけかもしれず、他の常に飛んでいる鳥で検証してみたい所である。
鳥は人間でいう手の部分を空を飛ぶために特化したことで、動物の中でもそこまで激しい生存競争に巻き込まれなかったのではないか、という気がするが、どうなのだろう。
とにかく、進化の段階で空へ飛び立つに至った、というのはおもしろい現象だと思う。
あのクチバシも、何故ああなったのか、よくよく考えてみると不思議である。
恐竜のプテラノドンを思い起こしてみると、クチバシはない。
空を飛ぶ動物というと勝手にクチバシがあるものを思い浮かべるが、それは絶対条件ではなくて、コウモリのようなネズミに羽が生えたようなのもいるし、結局空を飛び始めた鳥類の祖先がたまたまそういう種であり、それが幅を利かせたので、他の種の空を飛ぶものが出てこなかったのかもしれない。
そうなると、いろんな動物の進化の「if」を考えるのも結構おもしろい。
トビウオのような魚類のもので空を飛ぶ種類がいたかもしれないし、未確認生物でスカイフィッシュというのがいるが、あながち無い話でもない気がする。
世の中の生き物というのはそれぞれ歴史があり、淘汰されたり環境に適応したりしながら様々な種が続いてきたのであるから、今たまたま人類が幅をきかせているが、そうでなかった可能性だって充分ある。
手塚治虫の火の鳥・未来編で、人類が滅びた後にナメクジが進化した知的生命体が出てきたりするが、そういうことだって絶対に無いとは言えない。
人類という存在が、地球環境を破壊し、様々な種を絶滅させ、という現状を見ると、何が知的生命体か、という気がするし、知識の実を食べたことで楽園を追放されたことを考えると、今の人類の様な状況を示唆されていたのではないか、とでも思いたくなる。
ちょっとダークな方向に偏り始めたので修正。
まあとにかく、身近な物事でも疑問を持って考えてみると色々おもしろいことがあるな、という話でした。
おしまい。
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