マスクの衛生上の機能としては、綿やウレタンのものより不織布の方が良いそうである。
最近よくそう聞いていたが、ついに仕事場でも不織布しか使用不可になり、しばらくウレタンを使っていた僕は、かなり久しぶりに不織布のマスクを付けることになった。
確かに不織布の方が密閉感があり、守りに於いてはしっかりしてそうな反面、締め付けが強い分、耳などが痛くなりずっと付けているとしんどくなってくる。
ゆるゆるのウレタンの時には感じなかったのだが、ずっと付けているとだんだんうんこみたいな臭いがしてくる。
これってもしかして、自分の口が臭いってこと?
こんな肥溜めみたいな臭いしてんの俺の口?
そういえば子どもの頃、近所にあった牛小屋もこんな臭いがしていたなぁ、とだんだん遠い目をし始めてしまった。
少し前に兄と会った時、はじめてくさやを食べたのだが、その時もこんな臭いがしていて、二人で牛小屋の話になった。
東京に来て二人で住んでいた時も、住んでいた清瀬のアパートの向かいに牛小屋があって、風向きによっては臭かったなぁ。
そして牛といえば思い出すのが、「もうもう」である。
小学生の途中くらいまでであるが、家のトイレでうんこする時祖母が後に付いてきて、終わった後に「もうもう」と言う。
そうするとパブロフの犬の如く、条件反射で僕も兄も四つん這いになり、うんこの付いたままの尻を祖母の方に突き出すのである。
そしてそれを拭いてもらう。
今思うとなぜそんな風にさせられていたのかわからないが、孫のとはいえ、いつもうんこの付いた尻を拭いてくれていた祖母には感謝しかない。
口臭の話からだいぶ逸れてしまった。
口臭って自分ではよくわからないから恐ろしい。
気づかぬうちに周りに害悪を撒き散らし、陰で「〇〇さんってマジ息がうんこみたいな臭いするよね」って噂され、避けられる。
話している時も不自然な距離を置かれ、鼻から下を手で覆われ、顔を背けられる。
田辺ミッチェル五郎のように、密かに災害扱いされている可能性すらある。
口臭、ワキガなどの体臭といった臭いに関するものはコンプレックスになりやすく、また解決も難しいので、病院に通ったり、手術を受けたり、そういう不利のない人に比べて気にしなければならないことも多く、しかも自分ではなかなか気づけないので、改善したのかも自覚しづらい。
しかもそれが改善された状態でようやくゼロ地点であり、そこから人間性だの、見た目だの、といったことがはじめて問題になってくる。
臭人(何かしらのニオイ・コンプレックスの持ち主をこう呼ぼうと思う)は人並みに生きるのでさえ苦労するのである。
世の中の臭人じゃない人々は、それだけでものすごい天恵を得ていると自覚せーよ。
世間ではマスクを付けているのがデフォルトになり、口臭人たちは多少気が休まるかもしれない。
しかし、それでも口臭は、好きな人ほど、近くにいる人ほど、傷付けてしまうのだ。
親しくなってマスクを外す。
急激に鼻腔へと襲いかかる、突き刺すような口臭。
自分も相手も地獄…
もし仮に自分が好きな人の口から「死んだザリガニにネギを入れた臭い」がしたらどうだろうか。
まだ好きでいられるか?
正直僕は自信がない。。
もしそれを越えていけるとすれば、それはもう「愛」としか言えないであろう。
ま、でも僕はまだ臭人と決まった訳じゃないんで!
きっと近くに牛小屋があったんです。そうだ、そうに決まっている。
青山に、でっけぇくっせぇのが。
きっと夢を叶えた吉幾三さんの家があるんですよ。
東京でベコ飼ってるんだ。
そうだ、そうに決まっているのだ。
0コメント