よく戦法として用いられる方法に、あえて逃げ道を作っておいて罠にかける、というのがある。
危機に陥ると、人はとっさに逃げやすい方に逃げていくのかもしれない。
普段は「自分は大丈夫」と思っていても、いざとなると冷静でいられるにはある種の精神力が必要になると思う。
追い込まれて逃げ場もなく、もうどうしようもない、戦うしかない、という時に戦争は起こる、と以前何かの本で読んだことがあるが、日本の第二次大戦なんかもそんな状態で、そこまで追い込まれてしっまったからあんな無謀な戦争に踏み出してしまったのである。
だからいっぺんにあまり追い込みすぎると何をしでかすかわからないので、逃げ道を作りながら徐々に削っていくやり方は、効率的で、精神的にも一番来る方法だと思う。
今完全に中国の歴史モノ(三国志とかキングダムとかそういうの)なんかを頭に思い浮かべているけど。
現実に軍師とか大きな軍の将軍の様な存在は大局、つまり全体のグランドデザイン的なものを考える立場で、実際の現場の指揮というのは各部隊の司令官が担当する。
現場というのは瞬間的な判断力や、部隊を指示通り動かせる力が必要になり、大局を描く力とはまた別種の力が必要になる。
なので、現場で有能な人が、さらに上の立場で有能かどうかはわからないが、ともかく現場で結果を残さなければ出世はできない。
あとは士官学校的な場所で結果を残し、エリートになるか。
そういうのは戦争ではなくとも、会社などでもそうで、前線から後ろになるにつれて近視的な見方から俯瞰できる大きな視野が必要になるのだろう。
そう考えると、個人で生きていく際にも、その場その場を乗り越えていく力と、ビジョンの様な俯瞰した大きな視野が必要になる訳で、どっちが欠けてもあまり良くないというか、どんなに素晴らしいビジョンがあっても実現できる力がなければ意味はないし、その場の対応力はあってもビジョンがなければ進むべき方向がわからなくなってしまう。
まあこんなことを書いておきながら、自分には両方とも欠けているなと思ってしまいますが汗
子どもの頃は三国志、日本の戦国時代とかの英雄譚的なものが好きだったけど、結局は戦争、戦って人を殺し、領土を奪い、といった血なまぐさいことが現実な訳で、段々とあまり憧れなどはなくなってしまった。
歴史に名は残らなくても、平和な時代に生きた方が幸せだと、今は思う。
そういえば全然関係ないけど、日本では江戸時代まで朝廷と幕府という二重構造の政治機構になっていて、おそらく国王的な立場が天皇(朝廷)で、実務的なポジションが将軍(幕府)ということになるのだろうが、朝廷がずっと続きながら、色々幕府は変わる、というのが不思議だなと思っていた。
つまり国王のポジションはずっと変わっていないのだから、他の国でいえば〇〇朝の様なものがずっと続いていることになる。
大和朝廷は紀元前からあるので、中国でいえば秦が現代までずっと続いている様な感じかもしれない。
そう考えると歴史ありすぎやな…
どうしてそんなに長く朝廷が続いたのか考えてみると、やっぱり外国から支配されなかったのが大きいのかもしれない。
大和朝廷自体が大陸から侵攻してきた人々、という説も読んだことがあるが、それ以後、とにかく中国だったり、ヨーロッパだったり、他国から支配を受けることがなく、よって実質的支配者は変わっても何とか朝廷の存在は保たれていった。
これが例えばイギリスなどの植民地になっていたら、現代に天皇制はなく、公用語は英語だったかもしれないし、オーストラリアみたいに一部ユニオンジャックが入れ込まれたみたいな国旗になっていたかもしれない。
まあとにかく、そういう外部からの支配がなかったというのは喜ぶべきことかもしれないが、逆に排他的であったり、国際感覚に疎いといった性質にも繋がっているかもしれないし、難しいところである。
何だかまた一貫性のない、とりとめのない文章になってしまいましたが、時間も時間だし(現在0時半過ぎ。日をまたいでしまった…反省)今日はこれで終わります。
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