日常的にゲームはあまりしないのだが、たまに始めるとタガが外れたようにやってしまう。
昨日のブログが遅くなったのもそれが原因のひとつでもあり、少しだけ、と思って始めると、もうちょっともうちょっと、と気付いたらすごい時間が過ぎてしまっている。
今やっているのはテラリアというゲームのモバイル版で、簡単にいうとファミコンの横スクロールアクション(くにおくんとかみたいなヤツ)にマインクラフトが合わさったようなゲームである。
元々去年の緊急事態宣言で仕事がない時期にダウンロードして、ハマりまくっていたのであるが、ある程度やった所で途中やめしてそのままにしていた。
最初は違うゲームを買ってやろうかと思っていたのだが、お金ももったいないし、テラリアをまた新しいワールドで一からやってみようということになった。
それがやっぱりおもしろくて…とまぁテラリアの話はいいんだけど、もう少し包括的にゲームのことを考えてみたいなと思って。
(個人的に無料アプリゲームの課金するシステムは苦手で、最初に買い切りの方が好き。テラリアは価格は安いのに内容は深く、とても遊び甲斐があって最高)
ゲームというのは仮想現実である。
つまり、普段自分たちが暮らしている現実世界とは違った、バーチャルな世界で様々な体験をする。
それはどんな経験をしても、基本的には仮想世界の出来事なので、現実にはフィードバックしない。
感情面などは影響あるかもしれないが、ゲーム内で手に入れたアイテムを現実世界で使用できたり、儲けたお金が実際の収入になったりすることは(今の所)ない。
(ハンターハンターのグリードアイランドみたいなゲームが本当に存在すればあり得るけど)
ということで、現実逃避という意味ではとても強い力を持つと思う。
(車もそうだけど、僕は現実逃避がしたいんだろうか…)
確かに現実はお釈迦さまの言う通り、生老病死と苦がデフォルトであり、心安さや幸せというのは一瞬の幻の様なもので、辛いこと、上手くいかないこと、悲しいこと、痛いこと、様々にある。
とにかく現実というのは難しいので、現実逃避して楽しむというのもリフレッシュという意味では良いと思う。
ただ、最近思うのは、ゲームが現実化してきていると感じる。
それが特に顕著なのはアプリの課金制である。
つまり現実の金銭が、ゲーム内の力関係にも作用している。
お金を使えばいくらでも強くなれるし、オンラインという性質上、ともにプレイしているのは現実に存在するプレーヤーであり、そこでの関係というのもゲームを介したひとつの現実である。
この先仮想現実の現実世界との交錯はもっと発達し、まさしくもうひとつの現実といった意味合いが強くなっていく気がする。
インターネットがそうであったように、ゲームの世界も段々と現実との繋がりが強くなり、今のYouTuberやインスタグラマーのように、ゲームの世界で儲けたお金が実際の収入になり、それだけで暮らしていくような職業の人が出てくるかもしれない。
そうなるまでには色々と障壁はあると思うが、そういうフォーマットを開発できたら、その企業は新しい時代を牽引するような存在になるかもしれない。
とにかく、ゲームにはまだまだ色々な可能性があり、未来はおもしろそうだなという気がする。
例えばゲーム内で買った土地がすごい高値で取引されるようなことも起こりうると思う。
ゲーム内で億万長者になって「あーこれが現実のお金だったらなー」とか思っていたのがとても牧歌的で平和だったなと思うような時代が来るかもしれない、ということで、今回は終わります。
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