Exit Through the Gift Shop

以前ほんの一瞬だけカフェの経営に携わったことがある。


自分の勉強不足もあり店はすぐ閉店、飲食店経営は本当に難しいなと思った。


店を持つというのは、内装、サービス、提供するものなど、トータルで(店主であるなら)自分の世界観を表現するということである。


その世界観が世の中に認められる(お客さんが来てある程度の売り上げがある)ということが、店が続くということで、自己の内的世界、イメージ、経験などが環境(店の立地、物件、働くスタッフなど)と合わさりながら社会的に表出したもの、と考えると、一人の人間のイメージが具現化され、それが他の人間にも響いている、つまり個人的なものが、人間の共通する部分へ響くものになっている、ということかもしれない。


店舗によってどこに注力するのか、というのは違うし、どの程度の価格帯で、どの層に向けて、どういうコンセプトで、というのは色々あると思うが、それが明確なほど成立する可能性は高そうな気がする。

より純度の高い表現ほど人は魅了されると思うし、その場でしかできない体験があるから人はやってくる訳である。


一軒のみの個人店というのは、そこにしかない一点モノ、という意味で、アート作品に近いかもしれない。


チェーン店などは立地や店舗自体の違いはあれ、同じ世界観を表現しているという意味では、複製芸術、大衆芸術に近いという気がする。


ラーメン二郎やラーメンショップのように、同じ系列でありながら店舗によって個性があるもの、家系のように弟子から弟子へ派生していくような形態は狩野派のような、昔の芸術家一派を思い起こさせる。


コロナ禍によって特に飲食店は苦しくなっていると聞く。

その場所へ行って、そこでしかできない体験をする、ということが難しくなっているだけに、また別の表現方法が必要になって来ているのかもしれないが、どういう形がいいのかはまだみんな試行錯誤中のような気がする。


オンラインでも簡単に個人店を出せるようになって来たので、そこでの世界観の作り方というのも興味深い所である。


しばらくこの状況は続くだろうから、これからどう社会が変わっていくのか、新しい表現方法が生まれてくるのか、注視していきたいと思う。

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